誰かのためを思うとは
エゴをなくすこと
抽象度をあげること
この二つが不可欠です
相手のことを思っているようで
自分がやりたいことを提供していたり
相手をコントロールしたいから
相手を思っている風に近づく人もいます
そもそも相手がどう感じているのか
それを理解するところが相手のためを思うスタートです
それが出来ないのであれば
相手を思うこと自体を控えた方がいいと個人的に思っています
また
相手より抽象度が低ければ
勘違いを提供することになり
相手を苦しめることにつながります
あまり高い低いという比較的な表現は好きではありませんが
見えているものが相手より高いのか
見えているものが相手より低いのか
これはかなり大きな影響があります
横からみるのと
下からみるのと
上からみるのと
一点から見るのか
多方から見るのか
などなどの見え方、見方
エゴがない無、ゼロ、ニュートラルな状態を通して
全体を俯瞰してみえているのか
ここが大切なわけです
子供に対して親がアレコレ指摘出来るのは
子供よりも経験値があり
より多角的にみれるからです
でもほとんどが親の都合になり
子供の都合ではありません
それは守るためには必要で
その行為自体を否定しているのではありません
親になったことのない人は
親にやられた経験があるので体験したことがあるはずです
理不尽だと感じたり
押さえつけられていると感じたことがあるかもしれません
あなたもそれらを体感してきた結果
1つの方向、角度
エゴ
このが2つが入った状態で
誰かと接しているかもしれません
それは
自分にとっても
相手にとっても
あまり良いことではありません
押し付けがましくならないように
相手を色々な面から見て
伝えてあげられるようになると
対人関係でのぶつかりが減ってくるはずです
自分がどうなっているのか
意識してみてくださいね。