自分の指導するのは自分であって他人ではありません
誰かに習うことはありますし
慕い、学び師弟関係を結ぶこともありますが
操縦者は自分自身であり他人ではありません
指導とは
目的に向かって教え導くこと
具体的にさし示し、案内すること
という風に記載されています
自分の目標に向かって進むのであるから
やはり自分の指導者は自分です
これを間違えているから
他人任せになり
主体性がなくなるんじゃないかな
と最近よく思います
誰かが言ったから
先生にこう言われたから
○○しました
××やりました
これらは保険的な言い訳です
自分の非を可能な限りゼロにしたい
言われた通りやったのにできません
結果がでません。。。
という部分が欲しいだけなのだと思います
そうじゃない!
と思う人もいるかもしれませんが
そんなこと1%も思っていないです!
と言い切れる人はいないはずです
誰しもそんなに強くはないので
自分に非がないようにしたいものです
それはしょうがないです
当たり前というか当然な思考だと思います
それをわかったうえで自分をどのように指導するのか
ここが大切なわけです
良い指導者は良い方向に導いてくれるのであれば
自分自身が自分にとって良き指導者であればいい
他人にとっての良き指導者ではなく
自分にとっての良き指導者としてこれからどのように選択していくのか
そこをしっかり考えていけるといいと思います
自分自身をあきらめていたら
苦しく感じることも
思い悩むこともないと思います
みんな今よりよくなりたいから
思い悩み苦しむんじゃないでしょうか?
それだけで希望はあると思いますよ