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”あいつは変わった”という言葉を呪い(自己制限)に変換しているのは自分である

あいつは変わった

あいつは変わった

あいつが変わって、自分は変わっていない

あいつは変わっていないが、自分が変わった

あいつも変わって、自分も変わった

 

いったいどれなのか

 

人はその人に対する思いが存在する

その思いがその人を創り上げている

 

こういう人という枠の中から

はみ出たり

違ったりすれば

あれ?おかしい。。。

という判断をする傾向にある

 

以前のあの人という理想への固執や依存

それらをもとに見ているのかもしれません

 

相手の調子が悪いからかもしれない

たまたまかもしれない

どういう風に判断するかは相手次第

相手は外野です内の声ではありません

 

欲しいものがほしい

欲しいカタチをしていてほしい

 

それは願望なのか

意のままに操りたいだけなのか

自分の理想に近づいてほしいだけなのか

それ以外かもしれません

 

変わることは悪いことではありません

変わらないことも悪いことではありません

自分の人生です

 

あの子はずっとそう

あいつは○○を忘れた

あいつは××を捨てた

あいつはだからダメなんだ

etc

 

相手は呪いをかけようと思って使っていない言葉

でもそれが呪いとなることが多々あります

 

受けた言葉を呪いに変えるのは自分

その言葉が身体の内に残り棘のように刺さる

そして自分を縛る制限となる

 

ただの戯言に変換出来たら

棘にはならず制限に繋がらない

 

その言葉を自分なりに

分解して精査してそんなことないな

になればそれもOK

 

そんなことない!

勝手にいってろ!!

というのはまだ未消化中

 

そうなんですね

程度になっていれば問題はないはず

 

繰り返し書きますが全ては外野の意見です

自分の内側、内野はなんと言っているでしょうか

そこが大切かと思います

 

軽視するわけでもなく

重視するわけでもなく

自分の都合よく採用するのでもなく

 

過不足なく体や心が反応するようになっていきたいですね

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