神社や神様にお願いをするとき
多くの人は個人的な願いをします
希望の進路が叶いますように
ステキな人と出会えますように
健康でありますよに
無事に出産できますように
様々な分野、ジャンルのお願いをすると思いますが
基本的に神社などで個人的な願いをすることは御法度です
(今回はそこの話しをしたいのではないので割愛)
仮に願いが叶ったとして
それが本当にあなたが望んだカタチのものなのか
本当に幸せを運んできてくれたのか
実際にはどうなんでしょうか?
例えば恋愛の願いをして
願う度にいい人と出会いデートが出来る人がいたとします
願った本人は神様は願いを叶えてくれた
ありがとー
って思うかもしれません
でも僕個人の目線からしたら
それ試練かもしれないよ。。。
と思うわけです
あなたが願っている幸せが
ニセモノだとしたら
(思い込み、勘違い、間違いetc)
それはきっと身と心と言葉が不一致な状態なので
苦しみを感じることになるはずです
わたしは願えば叶うんだ
と思うことはいいことなのかもしれませんが
毎回願っているってことは執着に近い可能性もあると思います
その願いが自分を縛り付けているのかもしれません
自分の成長を邪魔しているのかもしれません
気づきなさいというメッセージなのかもしれません
わかりませんが
願いが叶うこと=幸せ
ではない可能性もあるんだということに気づいた方がいいです
願うことも難しいんです
身も心も言葉(意識)も一致してないと嘘になりますからね
気を付けて下さいね。