人と関わる上で月日は大切な要素です

時間をかけた分だけわかることや

かけたからこそわかること、理解できることがあります

 

しかし、長い時間共に過ごしたからといって

全てはわからないし

全くわからない場合もあります

 

それは家族含めです

家族だからわかる、理解できることも確かにあるでしょう

でも家族ですらわからないこともあります

 

逆に最近知り合ったばっかりなのに

なんとなく肌感が合う

ウマが合う

という場合もあり

 

なんかよくわからないけど通じあう!

わかる感覚がある!

ということもあります

 

その人はきっと運命の人だ!!!

という話しではなく

月日を飛び越えて分かり合える場合もあるという話しです

 

たまたまかはわかりませんが

そういう出会いやきっかけは

人生においてかなりの影響を与えるのは間違えないでしょう

 

そんな人に今まで会ったことがない人も今後出会うかもしれないし

会わないのかもしれませんが

時間だけが理解を深める要素ではないということです

 

理解するということは才能に近い表現で表されていて

読解能力、理解力etc

特別な才能、能力のような気もしますがそんなことはありません

 

みんな持ってますが

10なのか50なのか100なのか

それぞれ組み取れる量、レベル、高さ

表現はなんでもいいのですが

その差は確実にあります

 

わかってほしい量

伝わってほしい量

汲み取れる量

の差があるからわかってもらえていない

という感覚になるんだと思います

 

きっとわかってくれています

1mmもわかっていないことの方が難しいような気がします

 

差があるだけなんです

わかってもらえていないわけではないんだと思います

 

差があってあの人だとそれくらいでしか伝わらない

じゃあしょうがない

って感覚を持つことが出来れば怒りも幾分減るんじゃないかな

って思います

 

あきらめるというよりは

事実そうだからしゃーないって感覚です

まあ色々人それぞれですからね

というくらいのゆとりが持てますように

そう願っています

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