自分の思い通りにならないとイライラする人がいます

そもそも世の中が自分の思い通りに回っているのであれば

イライラしてもしょうがない気もしますが

基本的に自分の思い通りに国は動いてくれないし

人も動いてくれません

 

思い通りにいかないことだらけです

それでも思い通りにしたいとは一体どういう思考になっているのかな

と考えさせられます

 

思い通りにならない世界の中で

ひとつやふたつ思い通りになってもいいじゃないか?

かもしれないし

 

そんな世界ですらも支配したい!ということかもしれません

 

人と関わってくるとある程度

色々なモノが見えてくるようになります

(人それぞれかもしれませんが)

 

怒ってんだろうなとか

落ち込んでるんだろうなとか

状態を感じ取れることもあれば

 

この質問に対して何を答えても正解はないな

とかもあるし

 

あーこういうニュアンスのこと言って欲しいんだろうな

ということも見えたりします

 

みえた結果

自分の意見とは違うことを言った方がスムーズに事が進む

スムーズさを優先して自分の意思は殺す

そのような選択を選ぶ場合もあるでしょう

 

相手の求めているものに対して

壊すのか

癒すのか

寄せるのか

自分の意思を通すのか

絶対にないこたえを創り出そうと目指すのか

 

そんなことをやったりしていると

自分の意見、意思はそこに存在するのか

様々な選択肢のなかから選ぶ行為が

自分の中からではなく外的な要素(相手)のみで構成されていないか

というような疑問が生まれてくるはずです

疑問が生じたことに気づく人もいれば気づかない人もいると思います

 

気づいてあげられないと

いわゆる自分の声というものを見失っていく道を辿ると思います

 

そんな難しく考えてないわ

って思う人もいるかもしれませんが

人は毎日選択して生きています

 

その選択は往々にして

受け入れ難くない方であり損失が少ない方を選ぶ傾向にあります

危険を避けるという表現もできると思います

 

そういった選択する癖は見失う要素になりうるものです

軌道修正というわけではないですが

少しの見直し

少しの隙間、間

少しの気配り

それらを自らに対してやってあげる

 

それが現代において必要なことのひとつのような気がします

思い通りにならないなりにくい世界で

あなたはどのように過ごしたいと思いますか?

そんなことを考えてもいいのかもしれませんね

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