人間には何かしらの不自由があります

ない人はまずいないでしょう

 

その不自由さを嘆く人もいれば

その不自由を気にしない人もいるし

不自由があるのはしょうがないと諦めている人もいるでしょう

 

何にせよ、その不自由含めての人生で

その人生は誰のものでもなく

基本的には自分のものです

 

その小さな不自由がある自分の人生を

大切にするのか

雑に生きるのか

他人にあげちゃうのか、乗っ取られてしまうのか

どれを選ぶのかも自分次第です

 

ただ自分の人生だからといって

何でもokというわけでもありません

 

社会との関わり、誰かとの関わりが少なからずあるので

そことのバランスはとる必要があります

 

バランスをとる必要はありますが

そのバランスの匙加減は自分でとらないといけません

 

相手に委ねると

自分の人生を相手に奪われるとまではいいませんが

主体性はなくなり不自由さをより感じて過ごすことになってしまいます

 

たぶんですが

不自由は耐えるものと捉えている人が多い気がしますが

耐えるというか在るもの

存在するものと捉えたほうがいいでしょう

 

耐えるというイメージは

力が入いる感じがします

 

人々が緊張をしながら生きている理由はここにあるのかもしれないな

と最近感じています

 

寒いから力が入っているのではなく

寒いからより力が入っている

常に力が入っていて

力が抜けない時間を過ごしているので

初期設定が間違っているという感じです

 

在るものとして捉えるのであれば

自然に呼吸するかのように

構えることなく認識する

ただそれだけすればOK

 

力まず、卑下することも、蔑むことも、嘆くこともなく

ただ不自由は少なからず在ると認め受け止め行動する

そんなことができるといいかと思います

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